社会人の一歩を記す靴

その日、お店のドアを開けて入ってこられたのは、まさに紳士という表現がふさわしい男性でした。
「いらっしゃいませ」とお声をかけてふと気が付くと、男性の後ろには若い女性が続いていらっしゃいました。
「今日は、娘に新しい靴を創ってもらいたくて来たんだ」
こちらがご用を伺う前に、お父様はそうおっしゃいました。

お嬢様は大学をご卒業され、来春晴れて新社会人になられるとのこと。
「就職プレゼントとして、靴を創ってあげることにしたんだよ」と嬉しそうにおっしゃいました。
早速テーブルにお通しして、デザインのご相談に入りました。
タイトスカートでもパンツスーツでもマッチするように、またトラディショナルなデザインでも合わせられるようにカラーはブラックを採用。
インソールの鮮やかなレッドカラーや、足首のベルト、長めのつま先を飾るデザインなど、シックな中にも、キュートさを加えて、お嬢様の個性を引き出すデザインをご提案いたしました。
女性であること、また足の筋力を考慮し、今回は圧着製法で作らせていただくことにいたしました。

打合せをさせていただく間、お父様は様々なことをお話くださいました。
新入社員は、とにかく歩くことが仕事。
身だしなみでも、靴が最も大切なポイントになる。
何度でも手を入れて履き続けられる良い靴は、必ず社会人としての自分の味方になってくれる。
社会人の大先輩としてのお父様の言葉は、一つ一つにお嬢様に対する愛情にあふれていました。

そして、打合せも終わりに近づき、テーブルを立つ前にお父様はこうおっしゃったのです。
社会人としての第一歩を踏み出す娘に、ぜひ靴を贈りたかった。
そして、1人の社会人として旅立っていく娘に対して、これが父親としてできる最後のことだとも。